
何回かのスランプはありましたが難しくなったからやめる、嫌いになったからやめるということを許していたら先で困ると思い、どんなにプリントがたまっても必ず全部やらせ、「自分から言い出したのだから最後まで頑張りなさい。良樹君はやればできる子なんだから」と励まし、途中でやめることを許しませんでした。
お陰で小、中、高と数学だけはいつもトップクラスにおり、自分でも絶対的な自信を持っておりました。また同じころ、ピアノが習いたいζ言い、「お母さんが教えてあげる」と言うのに、これも、「カバンを持って行きたい」と言うのです。耳に障害があるので無理ではと思ったのですが、「やりたいということはできるだけ体験させてやろう」と思っていたし、「上の子にさせたことはやらせよう」と考えていたので、通わせることにしました。でも、バイエルも八十番ぐらいにくると、やはり聞こえないというハンディーはどうすることもできず、ピアノのけいこよりもソストボールの練習の方が、下手でもおもしろかったようです。
でも、何回か出たピアノ発表会は、良樹にとって大きな自信につながりました。そして、「何よりもよかったなあ」と思ったのは、辛いとき、悲しいとき、ピアノを弾くことが逃げ道の一つになってくれたことです。
五年生も終わりに近づいたある日、「お母さんは、ぼくの耳が聞こえないので悲しいでしょ、恥ずかしいでしょ、ぼくなんか生まれてこなければよかった」と頭をかかえ、ふさぎ込むようになったのです。いつか、こんな日がくるのではと思っていたのですが、やっぱりショックでした。こんなに早く悩むとは思っていませんでした。
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